みちのく潮風トレイル名取トレイルセンターにて写真展開催中(〜2022年3月27日(日)まで)
詳細はお知らせをご覧ください。https://yoko-jigen.com/20210922-2/

長い歩き旅をする度に、わざわざ「歩く」って何なのだろう。と、私はいつも思います。
歩くことで次第に見えてくるものは、あらかじめ期待していた景観の狭間にある、無数の名も知らぬ地点の重なりであり、そこにあるものは、飾りたてられたハレの風景ではなく、素顔のままの土地の姿です。
無数の地点の重なりが歪な線を描いて進む時、ハイカーは、慌ただしい日常の中で欠落してしまった空白を、一歩ずつ小さな点で埋めてゆき、予測を超えた出会いを重ねていきます。それはやがて、効率的な生活のために見捨てていた自分の世界観の一部を、少しずつ取り戻しているような、満たされた気持ちにしてくれるのです。
そんなハイカーは、周囲に何かをもたらすのでしょうか。長く歩くことにより、お化粧が剥がれ落ちて素直になってゆくハイカーは、どうやら素顔の土地の住人と自然に馴染みやすいようです。無自覚に退屈な日常とハイな非日常の空気とをかき回す、ちょっとスパイシーな存在になれたら嬉しいと思っています。
では、三陸地方を歩いて旅することは、何なのか。三陸沿岸部を縦断する「みちのく潮風トレイル」は、他のどのトレイルとも全く異なる性質を持っているため、その体験を消化するには少しばかり時間が必要でした。
「みちのく潮風トレイル」を歩く者は、震災がもたらしたものが、明も暗も様々な形となって残り、変化してゆく様子の目撃者とならざるを得ません。
三陸においては、震災によって奪われたもの、表層が洗い流された後に残ったもの、それによって浮かび上がってきたもの、その中から産み出されたもの、再び塗り固められて消えようとしているものなどが、今もそこここに混在していて、感情をかき乱されます。
自然はいつも圧倒的な存在であり、人の世がどうあろうとも、ただ淡々と作用と反作用を成し続けていること、それらを受け入れてなおそこで生き続ける人間の姿に、旅人は圧倒されるのです。
この土地で、人々は何を守ろうとしているだろうか、何を切り捨てようとしているだろうか。何が否応なく消えてゆこうとしているのか、決して消すことができないものは何なのだろう。
これまで空白地帯だった三陸に、小さな点を打ちながら思いを巡らせます。
「みちのく」が、私たち徒歩旅行者へ語りかけてきたことに、静かに耳を傾けたい。
それは我々の未来でもあるからです。

2021年10月3日