連載「空と大地のあいまに」21

みちのく潮風トレイル 第20話 旅の仲間

 2018年9月に青森県八戸市の蕪島から歩き始めた「みちのく潮風トレイル」は、宮城県気仙沼市の本吉駅で中断していました。秋の連休を使って歩く計画が、台風19号による大被害ために延期し、12月になってしまいました。
トレイル通いも7回目、通算1年を超えてそろそろ終わりにしたくて、年末年始に休暇を加えて2週間のまとまった時間を確保しました。

 前回、真夏に宿泊した気仙沼のゲストハウスから始まります。ここで友人N君と会い楽しい酒盛りをしました。私の大学時代の同級生であるN君は、震災ボランティアからそのまま気仙沼市に移住して、わかめ漁師をしています。ひとしきり思い出や互いの今を話したあと、トレイルについて熱く語っていると、同宿している現役大学生A君が話の輪に加わりました。トレイルの話に興味を持ってくれて、そのノリで彼は明日、私と一緒に歩くことにしたのでした。

 翌朝、N君は帰宅し、A君と私はコンビニでお弁当を買ってからBRTで本吉駅に向かいました。そこからトレイル歩きを再開して、隣の陸前小泉駅まで歩いたところで、旅の仲間が増えました。私を待っていたのは、MCTを北上で歩き終えたばかりのTさんと、みちのくトレイルクラブのスタッフNさんです。二人は、クリスマスを一人で歩こうとしている私にわざわざ合流してくれたのでした。
 MCTを歩き始めてから、道連れができたのは初日以来のことです。4人でワイワイ喋りながら歩いていると、Te Araroa Trailを途中4人でつるんで歩いたことを思い出しました。
…ニュージーランド行きの飛行機の中で見た映画みたいだな、この辺りで撮影されたんだっけ。私たちは大きな自然の中でまるで小さなホビットみたいだ…
 なんて妄想しながら南極ブナの大木の森を歩いた日々でした。
 あの映画では、欲と権力の象徴である指輪を捨てる旅でしたが、私たちは日常の小さな物欲や執着を捨てようとして旅に出たりしていた。そういう意味で、旅は何かを“得る”だけではなく、“捨てる”ことでもあるのだな、と思うのです。

 Tさんは、台風19号の最中にハイキングを続けていて周囲を心配させた3人のハイカーのうちの1人で、私は愛を込めて「三馬鹿ハイカー」と呼んでいました。あれから2ヶ月、すでに修復が進んでいる道路を歩きながら、Tさんはひとり感慨に浸っていました。
 南三陸町に入り、田束山(たつがねさん)に登る“行者の道”は、台風でぐちゃぐちゃに崩壊したとの事でしたが、町による復旧工事がほぼ済んでおり、あとは許可を待つだけの状態でした。トレイルクラブのNさんが前もって南三陸町役場に確認してくれたお陰で、私たちは通行止めのサインを無視して進む事ができました。
 途中、崩落した場所には石が積み直しており、標識代わりに丸太の上に手彫りの矢印が刻まれていました。ハイカーにとっては感極まる光景です。登るにつれて気温が下がり、ついには雪がうっすらと積もっていました。凍りつくような澄んだ空気が美しく、私たちは声もなくしばし見とれました。

 田束山から入谷方面に降りてゆくと、小さな集落に出ます。可愛い少年が声をかけてきて、家の猫を見せてくれました。どうやらこの子は、ハイカーを見つけるたびに猫を披露しているようです。入谷は内陸であるために昔の農村の雰囲気が残っていて、美しいところでした。ハイカーに対してフレンドリーな空気だとの噂でしたが、時はちょうどクリスマスイブ。残念ながら人の気配が全くありませんでした。

 志津川に到着してみんなで楽しくご飯を食べた後、A君とTさんはここでお別れ。明日も一緒に歩くNさんと宿にチェックインして、新たな旅に向けて英気を養うのでした。4人が2人になるところもあの映画みたいだな。と、夢の中で新たな冒険が始まっていました。

 思いがけないハプニングを楽しむことから始まった今回のセクションハイキング、明日の夜にはまた1人に戻ることを思うと、じんわりと寂しさが募るのでした。

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